懐古


うわぁまた一週間経ってた(×_×)

一週間溜めた割には大したことではないかもしれない。


もう三日前になるが、私の中学時代の部活の顧問の先生が異動されると聞いて、母校の辞校式に行ってきた。
事前にその先生に宛てた手紙を書いたりプレゼントを選んだりしたのだが、色々ありすぎた三年間を思い出したらなんかすごく泣けた。現役時代はうるせぇよとかうぜぇなって思うことが多々あったけど、私なんだかんだその先生のこと好きだったんだなぁと気づかされた。自分の思い通りに吹けなくて、怒られて、泣いて、ぶつかって、楽器を投げ出したくなったりもしたけど、そんな経験がすべての結果に繋がったんだと、そんな当たり前のことを振り返っていた。


私は一年生の時から学年の責任者、そして先輩が引退した二年生の秋からは副部長だった。そのため、先生と話す機会だったり指示を受ける機会が割りと多かった。同期のミスはとりあえず責任者が指導されたし、後輩のミスもとりあえず部長副部長が指導された。また、合奏の席も指揮者に近く、出入り口にも近かったのでよくこき使われた。
先生はクラスを持っていたので、部活にいつも顔を出せるわけではなかった。だから、「先生が見てない間、こっちが普段何してるか知らないくせに。どれだけ皆に働きかけてると思ってんだ。」「席近いからって私の扱い雑すぎる。」などといつも愚痴っていた。


また、私は二年の冬、個人コンクールに出た。正直興味本意で校内オーディションを受けた。先生はそんな私をメンバーに選んでくださった。最初は信じられずも嬉しくてなんか複雑な気持ちだった。しかしそこからが辛かった。先生のレッスンまでの短い期間で曲を決め、譜読みをし、伴奏者との合わせまでできるようにしろと言われた。冬の時期は定期演奏会も近くとても忙しい時期で、個人コンクールに的を絞って練習をすることは難しかった。だから当然レッスンの時は怒られた。「こっちは定演の準備だってしてんだよ!」と言いたくても言えず、それが悔しくてレッスン終了後に泣いた。涙を止められなかった。そのあとも本番まで何度も怒られた。


三年の夏のコンクールでは、ソロパートを与えてくださった。私にとってはニュアンスを掴むのがとてつもなく難しいフレーズだった。私のニュアンスの捉え方と先生の捉え方が全く違って、何度も合奏を止めてしまった。「ソロなんだから自由にやらせろよ。」というのが本音だったが、何度も相談して話し合った。しかし、なかなか変えることができずにとても悩んだ。本番が近くなっても上手くいかず、追い詰められて毎日のように合奏後泣いていた。(いや泣きすぎだろ笑)


でも当時嫌だったこと辛かったことを思い返してみると、当然かもしれないけど全部私のために、私のためを思ってかけてくれていた言葉だったと分かる。責任者として、副部長としての経験だって絶対無駄になってはいないと思う。先生は全部知った上で指導してくださっていたし、知っていたから、私を引き続いて幹部に置いてくださったのだと今は分かる。
個人コンクールや夏のコンクールは、私にとっては十分すぎるくらいの、予想外すぎる結果だった。たくさん怒られたけど、先生は私を見捨てずにずっと指導してくださった。相談にのってくださった。先生がいてくださったから、あのような結果を出すことができた。
すごく当たり前のことなのに、こういうことっていつも離れてみてから気づく。

部活自体だって現役の時は、めんどくさいなといつも思っていた。でも卒業してみると、あんな最高な人たちいないし、またあのメンバーで合奏したいと思う。音がはまったときって独特の感動があって、その感動をあのメンバーでもう一度味わいたいと今だにたまに思う。今はあの部活に戻りたいなと、現役の時とは真逆の思いでいる。

どうして現役の時気づかなかったのだろう。もうそんなこと何度問うても答えは出ないことくらい承知の上だが、いつもそうだ。「このクラス楽しいなぁ」よりも、「あのクラス楽しかったなぁ」と思うことの方が多い。

まぁ用は今を大切にしろってことなんだろうけど、それって結構難しいことだと思う。環境が変わったり現在進行形で辛いこと嫌なことがあれば、昔を懐かしむのって人間の特性だと思うから。ついつい、「あの頃はよかった」とか考えてしまうから。(私だけ?笑)


でももし私が中学の自分に会えるなら、「必ず今後の糧になるから死ぬ気で今を努力しろ。愚痴ってばっかりいると今がとても幸せなことに気がつけなくなるぞ。」って伝えると思う。

...あれ、これ今の自分にも言えるわ。こんな過去を振り替えって懐かしんでる場合じゃないわ笑
今の仲間との時間、そして今英語や国語だけじゃなくて数学などの自分とは将来あまり接点がないと思われるものを勉強できる喜びを噛み締めないと。卒業まであと一年ないから。よりいっそう今の一瞬一瞬を大切にしようと思った。

私が今思うこと


特に何があったわけでもないのに一週間も放置してしまった...

その間にベルギーブリュッセル、そしてイラクでも自爆テロが発生した。どちらも過激派組織イスラム国が犯行声明を出している。

どうしてこうも、同じ人間同士なのに考え方に差が出てしまうのだろうか。

個人個人が自由に思考すれば異なった意見を持つのはあたりまえのことで、それがなにかを改善、向上するための協議で活かされるのはとても良いことだ。様々な意見を取り入れることで視野も広がるだろうから。

しかしその自由な思考のせいで今の状況が出来上がっている。私は今日本に住んでいるからか、揉め事は兵器を利用した戦いで解決しようとしてはならないと思う。その一方で、軍事力や兵器の所有を見せつけてその頭角を現すべきだと考える人もいる。

わからない。というより、なぜだろう。理由が知りたい。
どうしてそんなに戦いに執着するのだろうか。
どうして自分の命を犠牲にしてまで、テロを起こしてしまうのだろうか。



どうしたら解決の糸口が見出だせるだろう。
ベルギーのテロへの対策は整っている方だったと聞く。そんな国でもあのような被害が出てしまった。そもそもこちら側は、一方的に被害を受け、それにいちいち対策していくことしかできないのだろうか。

何がそんなに気に食わないのだろう。これから先何がしたいのだろう。何を望んでいるのだろう。この問題を考え始めると、疑問が溢れ出てくる。わからないことだらけだ。

でもそんなことをいちいち潰している時間はないことくらいはわかる。
テロの被害を受ける可能性のある側は、常にテロの危険にさらされていていつどこで起こるかわからない。そんな恐怖を抱えながら生きて行かなければならない。自然災害の恐怖と似ているような気もするが、こちらは必ずどこかに終息に繋がる扉がある。それを見つけるのはとても困難なことかもしれないが、迅速な発見が必要とされる。


そんな扉のひとつとしてなのかはわからないが、現在アメリカの大統領選で多数の州での勝利を収めているトランプ氏は、核兵器の使用も視野に入れると発言したようだ。私はそれには断固反対だ。

たとえ、イスラム国の幹部と言うかよく動画なり写真なりに載っている人たちを核兵器で攻撃、全滅させたとしても、たぶん世界各国にもう既にイスラム国の考え方に賛成の意を示している人はいるのだと思う。先日イスラム国に戦いに加担しようとしてシリアに入ろうとしたところを拘束された日本人男性がいたが、あの人のように、最近ではSNSイスラム国の人たちとやり取りをすることも可能になったこともあり、尚更各地に広まってしまったのではなかろうか。もしそうだとするならば、仮に幹部が全滅したところで、各地の人たちが立ち上がって新たなイスラム国を作り上げてしまう可能性がある。もしそうなったら厄介だ。

また、こちら側が核兵器なんぞを使ってしまっては、イスラム国が行ってきたこと、そして少し逸れるが北朝鮮が行ってきたことへの批判との整合性がとれなくなる。

相手の正体が未知すぎるために、慎重にならなくてはならないと思う。


...と、述べることによって私はトランプ氏とは異なる意見を持つことになり、対立した立場となる。絶対に私とトランプ氏が直接的に対立することはないと思う。しかしイスラム国との争いも、最初は世界や国のトップの人には決して届かない、市民の小さな意見との対立だったのかもしれない。全くの想像なのでわからないが。

国家や世界という大きな単位になるとどうしても小さな意見が見捨てられてしまう。でもその小さな意見が膨らんだとき、どんな力を持つか誰も予想できない。小さな意見がいっぱい捨てられていることは、しょうがないことではない。そんなことを強く感じた。

なんかこうして色々文字にしてみると、色々考えさせられた。地球に住む人間の一人として、この問題に関しては考えることをやめてはいけないと思った。

懇願


最近ニュースで結構取り沙汰されているが、石破茂地方創生担当相が地域再生法改正案を説明する際、誤って昨年の改正内容を読み上げた問題。
また、林幹雄経産相が参院予算委員会で、民主党大塚耕平氏から質問を受けたが、再処理事業を新設の認可法人に移すための「再処理等拠出金法案」や使用済み核燃料の処理について何度も答弁が中断。業を煮やした大塚氏から「重要な問題を担当している立場として勉強不足の自覚はあるか」とただされると、「ございます」と答えた問題。



...しっかりしてくれ(これまた失言失礼しました)
こんな話を聞いてこの人たちを信用していられるはずがない。それぞれの立場において国のトップであろう人のこのような失態は、国民からの信頼を一気に失う。

国会議員としての自覚あるのかな。ましてやただの議員ではないわけで。

先日も記したが、近年は国会議員が議会で寝てるとかそんなことがニュースになるようなことがある。そんなの、レベルが低いと思わないか。疲れてたとか全然言い訳にならない。国のために、国民のために、真剣に考える気があったら眠くなるなんて有り得ない。

同様で、入念に準備して細部まで確認してあれば、間違えるなんてあるわけないと思う。本当に自らが指揮を執り改善して行くんだという気があれば、勉強するだろ。着任して半年だからって許されると思ったのかな。半年経っても勉強不足じゃ、1年後も5年後も勉強不足だ。きっといつまでもやらないと思う。

だって仕事でしょ?議会で自分たちが提案したら法案が通るようにたくさん勉強して、質問や抗議があってもそれをう打ち負かし、自分の意見に説得力を持たせることができるように準備して、いざ議会で適切に話し合いを進めていく。政治分野って苦手だからわからないが、こういうことも仕事なんじゃないのか?
つまりわからないとか間違えるとかって仕事に欠陥があるってことになると思う。
 


国会議員全員ってわけじゃないけど、そもそもなんで国会議員立候補したんだよって私が思う人が増えた。もし、選挙で当選したのがこの人じゃなかったからもっとまともな議会だったかなとか考えてしまう。

ニュースで取り上げられるのが、議員の努力や成功じゃなくて不祥事や失態ばかりであるこの状況、国の代表としてなんとも思わないのかな。とっても恥ずかしいことだ。
それに、謝れば済まされるといった立場でもない。この立場に立つ人の発言の影響力は絶大だ。ものすごい勢いで拡散されて知れ渡る。多くの人の信用を失うことを意味する。たった1度だけでもどれだけの影響力を自分が持つのかをもっと自覚してほしい。

もう不祥事や失態は聞き飽きた。もっとまともな議会になってください。ニュースの質を下げないでください。国民の信頼を無駄にしないでください。

対策


先日の模試の解き直しをしていて、古典(本文というより設問)の簡単さにびっくり。解答解説を見なくても、自分のどの解答のどこが間違ってて逆に何が正解なのかわかるくらい。
多いなぁ、そういうの。はやとちりとかほんと多い。テスト中の集中力どんだけ無いの。そういうの毎回やってるじゃん。

あと緊張しいなのもどうにか本番までに治したい。そりゃ本番は多分緊張するだろうけど、私模試や定期テストでさえも緊張する。

準備をすればするほど勉強すればするほど、こんなにやったのにできなかったらどうしようとか変な事を考えてしまう。去年の定期テストで古典の試験の日、その日までにかなり対策してたから逆にダメだった時のことばっかり考えて、前日の夜も当日の朝も食べ物が喉を通らずそれなのに全部戻してしまい、結局体調の良くないまま受けて思い通りの結果にならないってことがあった。

模試が2日連続だった時も多分ものすごい気張ってたんだろうけど、終わった直後に熱が出た。

何の自慢にもならない。

本当に心臓飛び出るくらい毎回毎回心拍速くなっていて、問題解く時もすっごく焦る。で、ミスする。
普段あんまり時間に追われながら問題を解くってことをしてないからいけないのかな。

やればやるほど緊張するってさっき書いたけど、でもやっぱりそれはやり方が中途半端だから逆に緊張するのかもな。完璧に極めればそう思わないのかもしれない。緊張しないくらい、完璧に対策しなきゃ。




話題は全く変わるが、
今日読んだ評論文の本文中に、「国民国家は、セキュリティを過剰に追求することで国民の安全を脅かした。」みたいなことが書いてあって、これ私的領域と公的領域の話にも持っていけるのかなと思った。切り口全く違うけど多分同じことを言っている気がするから、このテーマは入試に結構よく出るかもしれない。
自分にとって苦手な分野だから、違う見方の文章を二つ今読むことが出来てよかった。
しかしやはり、理解に苦しめられている。(汗💧
日常に転がってる身近な話なのに凄く取っつきにくい。政治難しい。政経軍団の人たち本当にすごいと思う。

いやいや、感心してる場合じゃないわ。日本史好きなのになかなか点数が伸びないと言うかむしろ下がってて、いろいろ試してるのにこの状況抜け出せなくてどうしたらいいのかわからなくなってる。誰か日本史の勉強法をたくさん教えて欲しい。とにかく自分に合った日本史の勉強法を早急に見つけ出したい。

それ、論点ズレてます。


昨日投稿したはずだった記事を間違って自分で消してしまったみたいなので半日前の記憶を頑張って掘り起こしながら復元したいと思います。


自殺した中3生に誤った進路指導をしたことが明らかになった中学校には、本当にその進路指導が誤っていたせいで自殺したかどうかかわからないと言っている人がいるようだ。(聞いた話なので本当かどうかわからない)

それは、論点のズレだと思う。

将来を前向きに考えていた一人の生徒が自殺してしまったという悲しい事実。その生徒の進路指導を誤って行ったという信じ難い事実。

それらが存在することは確かであって、二つの事実の因果関係が大事なのではない。
それらに繋がりなくても学校が何らかの責任取るべきである。

私は教職員が全員解雇ということになっても不思議はない。それだけのことをしていると思うから。

大事なことを雑に扱うことにこの学校の教職員は全体として何の疑問も感じていなかったからこのようなことが起こった。万引きの事実を口頭で伝えたり、誰が資料の訂正を行うのかきちんと決めなかったり、面談をほかの人にも聞こえてしまう廊下で行ったり、生徒の大事な進路がかかっているのになんとなく適当に進めすぎている。生徒に何の関心も無いのかなと思うくらい。

たとえ今回の件に関与していなくても、学校全体にこんな風潮が蔓延してしまっているため、数人残したところでまた同じことを繰り返す。どこかでこの流れを断ち切らなければならないとすると、やはり今全員解雇としてもいいんじゃないかなと思う。

そこで自分のプライドとかメンツとかばかり気にする人は教師失格だ。信用出来ないし、そんな人に私の成績を管理して欲しくないし、私の将来を壊して欲しくないなと思う。
(生徒の分際で失言失礼しました)


そのような職員は自殺の責任を自分たちに押し付けられるのが怖くて因果関係を疑問視しているように感じる。でも実際大事なのはそこじゃないと思う。反省していかなければならないのはそんな事態を引き起こしてしまったということそのものである。




論点のズレというところで言うと、「保育園落ちた。日本死ね。」と書き込まれたブログの件も同様のことが言える。

この話題が議会で討論された時、総理はそれが事実かどうかを確かめようがないと言った。出典はどこだとか言う野次も飛んだ。

そこじゃないんだよな、と思った。
 
当のブログの言葉遣いは荒かったけど、そこまで怒りを顕にしてしまうほど国会が提案した政策に納得していないということである。
その口調が何よりもその証拠だ。

実際に保育園落ちて、わが子を待機児童とさせられた親たちは沢山いる。そして一億総活躍社会という言葉に疑問を感じている人が大勢いるのも確かな事実だ。

話し合われるべきはそれにどう対処していくかだ。その対策は適しているか。実現性の高い政策か。

しかし先日はそこに関して明確な答えは出ていなかった。一億総活躍社会という言葉を、特に具体的な策もないのに出してしまい、核心を突かれて動揺しそれを隠すために話を濁したように申し訳ないが思えた。

やましいことをしている意識があるから、口ばっかりの政策を打ち出してしまったから、濁すのだと思う。

でも国会議員は、選挙によって選ばれた国民の代表であるから、国民の清き一票を無駄にして欲しくない。議会で寝る。適当な政策打ち出す。失言が多い。無理やり法案通す。そんなモラルのない国会、本当に醜いから。信用出来なくなるから。もう少し正当に議会を進めて欲しいなと思う。 
(非有権者の分際で失言失礼しました)



不正が発覚したりした時、メンツがすべての人間が多すぎる。自分がどう思われるか。そんなことにビクビクしながら生きすぎている。人間誰でもそんなものだけど。責任をどうにかしてどこかに転嫁しようというのは人間の本能かもしれないけど。今回それがすごく浮き彫りになったな、と個人的に思った。









こんな感じだったかなぁ....(;_;)

あの日、そしてこれから。



あの日から5年。
もう5年。まだ5年。


何年経っても、決して忘れてはいけないこと。
全ての人が、自らの身に起きたことのように真剣に向き合っていかなければならないこと。


あの日。

私は当時小学校6年生だった。
卒業式を間近に控えたその日は早帰りで、友達と卒業の記念に“思い出の場所で写真撮影”をする予定だった。
確か、2時半頃小学校に集合だったような気がする。しかし私は図工の作品が提出できておらず、皆が帰った後に、残って完成させてから帰った。友達が学校に着く頃私はやっと学校を出た。
校門ですれ違うかたちとなり、「ごめんすぐ行く!」と友達に告げ、急いで家に帰った。

私の家は小学校からそう遠くはなかった。
10分もしないうちに帰宅し、出掛ける準備をして母に「◯◯ちゃんたちと写真撮ってくる!」と伝え、部屋を出ようとドアノブに手を掛けた瞬間――――





ガタガタッという音がした。

最初は風かなと思った。

しかしすぐに家が揺れていることに気づき、急いで机の下に潜った。

そのときはまだあんなに大きな地震だとは思わなかった。

次第に揺れが大きくなり、そして揺れは長く続き、“いつもと違う”揺れにただならぬ恐怖を覚えた。
CDラックが倒れ、偶然空いていた食器棚からいくつもの食器が飛び出し、揺れが続くあいだ中、ガラスが割れる音が家には響いていた。

ただただ怖くて泣き叫んでいた。
その当時すでに私は若干の反抗期に差し掛かっていたが、その時は別部屋にいた母が心配で心配でずっと「大丈夫?大丈夫?」と叫んでいた。

揺れが収まってからも怖くて私は机の下に隠れたままでいた。



そして少し落ち着いてから、母はテレビを着けた。たぶん地震の情報を知りたかったのだろう。震源地とか規模とか。まさかあんな映像が流れてるとは思いもしなかったのだろう。言葉を失っていた。

そんな母の様子を見て私も机の下から出て、テレビを見た。
そこに写し出されている映像が、まさかリアルタイムで起きていることだとはしばらく思わなかった。母は何を見ているのだろう、とさえ思ってしまった。

それが同じ日本で起きていることだとは正直信じられなかった。


津波というものの恐怖を視覚的に捉えたのは初めてだったような気がする。



今でもあの津波の映像は信じがたい。10mを超える波が押し寄せてくるなんて、想像できない。でもそれは確かな事実であって、受け入れて、二度と同じような被害を出さないために未来に活かさなければならない過去である。

あの日まで、“巨大地震”や“津波”は本当に存在するのかな、とさえ思ってしまうほど、私は恵まれた環境で生活していた。

地震であれほどまでに家が荒れ、パニックになったことはなかった。「なるわけない」と心のどこかで思っていた。
でもあの日それは現実世界で起こり得ることであると初めて認識した。


あの日から、自分に何ができるのか考えた。

いまだに私は答えを見つけられないでいる。



地震には遭った。でも、家も家族も友達もお金も食料もすべて無事だった。
だから被災された方を励ましたくても、どんな言葉をかけたら良いのかわらない。どんな言葉をかけたら、力を添えることができるのか。



「頑張れ」

「頑張ろう」

「頑張って」

どれなんだろう。もしかしたらどれでもないのかな。

そんなことを、つい考えてしまう。


また、風化させてはいないことであることは十分頭では理解しているのに、果たして自分がそれを語り継いでいく人に適しているのか。いつかあの日のことを何かしらの形で伝える人になりたいとは思う。でも私みたいな人がそんな職に就くことを被災された方は許してくれるだろうか。なんてくだらないことを考えてしまう。


結局、募金に行くことくらいしか、見つけられなかった。



毎年3月11日になると、被災されて亡くなった方のご冥福をお祈りするツイートや、東日本大震災に関する内容を扱うニュース番組が増える。


そんな様子を見て、“偽善者だ”と罵る人がいる。
「なんで...そんなつもりないのに...」と思うが、その真意は私にはわかり得ないのかもしれない。

被害が大きくなかったこと、無事であったことがこんなにも障害になるなんて。


こういう状況の時、「今自分にできること」を探すことってとても困難なことだと思う。
実際に同じ状況に立ってみないと、気持ち的に寄り添ってあげることって難しいのかもしれない。

でもそんな難しいことの答えを一人一人が出し、何かしらの行動に移すことにこそ意味があるのだと勝手な推測だが思う。


決してあの日起こったことを無駄にしてはならない。今後の教訓としていかなければならない。
自然の驚異は予想を遥かに超えて恐ろしいということ。思いがけない事故を引き起し兼ねないということ。



二度と同じことを繰り返さないために。

風化させないために。

あの日見たこと考えたことを、忘れてはならない。

自分にできることを探し続けて行かなければならない。行動に移さなければならない。



直接的な大ダメージを受けていない私たちがやらないで誰がやるんだ。
そう簡単なことではないけれど、罵倒されるかもしれないけど、やってみなきゃ力になれるかどうかわからない。



綺麗事だけど、これは私の今の正直な気持ち。なんか少し葛藤があって、まとまりないしつい長くなってしまった。

でも自分も今これを書いていて口だけじゃダメだなって、何かしらの助けになりたいなって、そんな思いが強くなった。
文字に起こしてみることって大事だな、と改めて。




5年という時間は何をもたらしただろうか。

長いようで早かった5年。
早いようで長かった5年。

一瞬にして奪われたものを取り戻すのにはまだまだ時間がかかる。取り戻し得ないものだってたくさんある。

その時の傷は深く一生消えないかもしれない。ましてや5年なんて期間で癒えるものではない。

復興はまだまだこれからだろう。

これから。

今を転機に


今日以前受けた河合模試が返却された。
受けた直後も手応えが全然なかったし、見直ししてても間違えたなって思うところが多かったから、ある程度の結果は覚悟してたけど、ここまで下がっているとは正直思わなかった。見た時、成績ってこれほどまでに暴落する事ってあるんだ...と青ざめた。

冬休みに勉強を疎かにしていたつもりはなかったから、正直ここまで下がる理由がわからなくて、どうしてだろうとかそんなことばかりを帰り道で考えてたら事故りそうになった(-_-;)

でも自分でそのつもりはなくても、どこかやっぱり気が散って集中できなかったり、質として低かった証拠があの結果なんだろうな。甘すぎた。

とりあえず明後日の模試で結果を残せるようにしないと。もうあんな結果は見たくない。
そしてこれを口だけにしないように。






って、模試の度に言っている。

解き直して落胆して。
結果が帰ってきてさらに落胆して。






なんて。
とっくにもうこんなこと言ってる場合じゃなくなってたのに。

口だけじゃんって思われても当然だよ。

どっかで変えろよ自分。今変われよ自分。