ラズベリー賞


2015年の“最低映画”を決める第36回ゴールデンラズベリー賞ラジー賞)の発表がロサンゼルスのパレスシアターで行われたらしい。アカデミー賞の授賞式を控えるこのタイミングで。(被せてきているんだろうけど)

最低映画に選ばれたところでモチベーションは上がるのか?恥をかくだけじゃないのか?ってかそもそもなぜ最低映画なんぞ決めるんだ?
疑問点ばかりで私には理解しがたい賞だ。
この賞において5冠とか言われてもピンと来ない。

2015年に「博士と彼女のセオリー」でアカデミー賞主演男優賞を受賞し、今年も「リリーのすべて」でノミネートされているエディ・レッドメインが、ラジー賞では「ジュピター」で助演男優賞を受賞する不名誉な結果に。一方、ラジー賞受賞歴があり、その後優れた作品に関わった者に授与される名誉挽回賞は、「クリード チャンプを継ぐ男」のシルヴェスター・スタローンに輝いた。スタローンはアカデミー賞にもノミネートされており、連日受賞の可能性もある。


ちょっと混乱する。誰が何を基準に選んでるんだ...。ってかこの賞意味あんのか?と、思ったけど、「この賞を取りたくない」から演者も監督も編集者も本気出す、みたいなことがあるのかもしれない。努力する目的のベクトルが変わって、それじゃいけないような気もするけど、下が大々的に発表するから上が引き立つし、上が華やかで名誉あるものだから、下はよりその恥辱さが目立って互いに盛り上げ合う効果があるのかな、たぶん。



一見必要ないと思えるものでも、重要な部分を引き立たせるためにはあってしかるべきものってきっとたくさんある。


寝ている時間って勉強しているわけではないから、例えば「予定より長く寝てしまった」「居眠りをしてしまった」場合、すごく焦る。だが、その後の勉強には良い影響も与える。昼間少しだけ睡眠時間をとると、いつも必ず眠くなる夕食後も目が冴えていて集中できる。


また、ドラマを見てしまった後に、たまに罪悪感を感じることがある。

あぁ、また1時間無駄にしちゃった...。という意識が頭の中を埋め尽くす。だが、そのドラマの内容が、評論文を解くヒントになったり小論文のネタになることがある。(これはごく稀なのでリスクは大きいが)


ものは考えようだ。結局要らないものとか必要ないものとかって存在しないと思う。全てのことに意味があって、何かは何かと関係していてそこに必要性があるから存在する。








別にテレビや携帯に費やす時間、睡眠時間を増やせとは言ってないぞ!!!!!!!!!(自分への言い聞かせ)