私が今思うこと


特に何があったわけでもないのに一週間も放置してしまった...

その間にベルギーブリュッセル、そしてイラクでも自爆テロが発生した。どちらも過激派組織イスラム国が犯行声明を出している。

どうしてこうも、同じ人間同士なのに考え方に差が出てしまうのだろうか。

個人個人が自由に思考すれば異なった意見を持つのはあたりまえのことで、それがなにかを改善、向上するための協議で活かされるのはとても良いことだ。様々な意見を取り入れることで視野も広がるだろうから。

しかしその自由な思考のせいで今の状況が出来上がっている。私は今日本に住んでいるからか、揉め事は兵器を利用した戦いで解決しようとしてはならないと思う。その一方で、軍事力や兵器の所有を見せつけてその頭角を現すべきだと考える人もいる。

わからない。というより、なぜだろう。理由が知りたい。
どうしてそんなに戦いに執着するのだろうか。
どうして自分の命を犠牲にしてまで、テロを起こしてしまうのだろうか。



どうしたら解決の糸口が見出だせるだろう。
ベルギーのテロへの対策は整っている方だったと聞く。そんな国でもあのような被害が出てしまった。そもそもこちら側は、一方的に被害を受け、それにいちいち対策していくことしかできないのだろうか。

何がそんなに気に食わないのだろう。これから先何がしたいのだろう。何を望んでいるのだろう。この問題を考え始めると、疑問が溢れ出てくる。わからないことだらけだ。

でもそんなことをいちいち潰している時間はないことくらいはわかる。
テロの被害を受ける可能性のある側は、常にテロの危険にさらされていていつどこで起こるかわからない。そんな恐怖を抱えながら生きて行かなければならない。自然災害の恐怖と似ているような気もするが、こちらは必ずどこかに終息に繋がる扉がある。それを見つけるのはとても困難なことかもしれないが、迅速な発見が必要とされる。


そんな扉のひとつとしてなのかはわからないが、現在アメリカの大統領選で多数の州での勝利を収めているトランプ氏は、核兵器の使用も視野に入れると発言したようだ。私はそれには断固反対だ。

たとえ、イスラム国の幹部と言うかよく動画なり写真なりに載っている人たちを核兵器で攻撃、全滅させたとしても、たぶん世界各国にもう既にイスラム国の考え方に賛成の意を示している人はいるのだと思う。先日イスラム国に戦いに加担しようとしてシリアに入ろうとしたところを拘束された日本人男性がいたが、あの人のように、最近ではSNSイスラム国の人たちとやり取りをすることも可能になったこともあり、尚更各地に広まってしまったのではなかろうか。もしそうだとするならば、仮に幹部が全滅したところで、各地の人たちが立ち上がって新たなイスラム国を作り上げてしまう可能性がある。もしそうなったら厄介だ。

また、こちら側が核兵器なんぞを使ってしまっては、イスラム国が行ってきたこと、そして少し逸れるが北朝鮮が行ってきたことへの批判との整合性がとれなくなる。

相手の正体が未知すぎるために、慎重にならなくてはならないと思う。


...と、述べることによって私はトランプ氏とは異なる意見を持つことになり、対立した立場となる。絶対に私とトランプ氏が直接的に対立することはないと思う。しかしイスラム国との争いも、最初は世界や国のトップの人には決して届かない、市民の小さな意見との対立だったのかもしれない。全くの想像なのでわからないが。

国家や世界という大きな単位になるとどうしても小さな意見が見捨てられてしまう。でもその小さな意見が膨らんだとき、どんな力を持つか誰も予想できない。小さな意見がいっぱい捨てられていることは、しょうがないことではない。そんなことを強く感じた。

なんかこうして色々文字にしてみると、色々考えさせられた。地球に住む人間の一人として、この問題に関しては考えることをやめてはいけないと思った。