あの日、そしてこれから。



あの日から5年。
もう5年。まだ5年。


何年経っても、決して忘れてはいけないこと。
全ての人が、自らの身に起きたことのように真剣に向き合っていかなければならないこと。


あの日。

私は当時小学校6年生だった。
卒業式を間近に控えたその日は早帰りで、友達と卒業の記念に“思い出の場所で写真撮影”をする予定だった。
確か、2時半頃小学校に集合だったような気がする。しかし私は図工の作品が提出できておらず、皆が帰った後に、残って完成させてから帰った。友達が学校に着く頃私はやっと学校を出た。
校門ですれ違うかたちとなり、「ごめんすぐ行く!」と友達に告げ、急いで家に帰った。

私の家は小学校からそう遠くはなかった。
10分もしないうちに帰宅し、出掛ける準備をして母に「◯◯ちゃんたちと写真撮ってくる!」と伝え、部屋を出ようとドアノブに手を掛けた瞬間――――





ガタガタッという音がした。

最初は風かなと思った。

しかしすぐに家が揺れていることに気づき、急いで机の下に潜った。

そのときはまだあんなに大きな地震だとは思わなかった。

次第に揺れが大きくなり、そして揺れは長く続き、“いつもと違う”揺れにただならぬ恐怖を覚えた。
CDラックが倒れ、偶然空いていた食器棚からいくつもの食器が飛び出し、揺れが続くあいだ中、ガラスが割れる音が家には響いていた。

ただただ怖くて泣き叫んでいた。
その当時すでに私は若干の反抗期に差し掛かっていたが、その時は別部屋にいた母が心配で心配でずっと「大丈夫?大丈夫?」と叫んでいた。

揺れが収まってからも怖くて私は机の下に隠れたままでいた。



そして少し落ち着いてから、母はテレビを着けた。たぶん地震の情報を知りたかったのだろう。震源地とか規模とか。まさかあんな映像が流れてるとは思いもしなかったのだろう。言葉を失っていた。

そんな母の様子を見て私も机の下から出て、テレビを見た。
そこに写し出されている映像が、まさかリアルタイムで起きていることだとはしばらく思わなかった。母は何を見ているのだろう、とさえ思ってしまった。

それが同じ日本で起きていることだとは正直信じられなかった。


津波というものの恐怖を視覚的に捉えたのは初めてだったような気がする。



今でもあの津波の映像は信じがたい。10mを超える波が押し寄せてくるなんて、想像できない。でもそれは確かな事実であって、受け入れて、二度と同じような被害を出さないために未来に活かさなければならない過去である。

あの日まで、“巨大地震”や“津波”は本当に存在するのかな、とさえ思ってしまうほど、私は恵まれた環境で生活していた。

地震であれほどまでに家が荒れ、パニックになったことはなかった。「なるわけない」と心のどこかで思っていた。
でもあの日それは現実世界で起こり得ることであると初めて認識した。


あの日から、自分に何ができるのか考えた。

いまだに私は答えを見つけられないでいる。



地震には遭った。でも、家も家族も友達もお金も食料もすべて無事だった。
だから被災された方を励ましたくても、どんな言葉をかけたら良いのかわらない。どんな言葉をかけたら、力を添えることができるのか。



「頑張れ」

「頑張ろう」

「頑張って」

どれなんだろう。もしかしたらどれでもないのかな。

そんなことを、つい考えてしまう。


また、風化させてはいないことであることは十分頭では理解しているのに、果たして自分がそれを語り継いでいく人に適しているのか。いつかあの日のことを何かしらの形で伝える人になりたいとは思う。でも私みたいな人がそんな職に就くことを被災された方は許してくれるだろうか。なんてくだらないことを考えてしまう。


結局、募金に行くことくらいしか、見つけられなかった。



毎年3月11日になると、被災されて亡くなった方のご冥福をお祈りするツイートや、東日本大震災に関する内容を扱うニュース番組が増える。


そんな様子を見て、“偽善者だ”と罵る人がいる。
「なんで...そんなつもりないのに...」と思うが、その真意は私にはわかり得ないのかもしれない。

被害が大きくなかったこと、無事であったことがこんなにも障害になるなんて。


こういう状況の時、「今自分にできること」を探すことってとても困難なことだと思う。
実際に同じ状況に立ってみないと、気持ち的に寄り添ってあげることって難しいのかもしれない。

でもそんな難しいことの答えを一人一人が出し、何かしらの行動に移すことにこそ意味があるのだと勝手な推測だが思う。


決してあの日起こったことを無駄にしてはならない。今後の教訓としていかなければならない。
自然の驚異は予想を遥かに超えて恐ろしいということ。思いがけない事故を引き起し兼ねないということ。



二度と同じことを繰り返さないために。

風化させないために。

あの日見たこと考えたことを、忘れてはならない。

自分にできることを探し続けて行かなければならない。行動に移さなければならない。



直接的な大ダメージを受けていない私たちがやらないで誰がやるんだ。
そう簡単なことではないけれど、罵倒されるかもしれないけど、やってみなきゃ力になれるかどうかわからない。



綺麗事だけど、これは私の今の正直な気持ち。なんか少し葛藤があって、まとまりないしつい長くなってしまった。

でも自分も今これを書いていて口だけじゃダメだなって、何かしらの助けになりたいなって、そんな思いが強くなった。
文字に起こしてみることって大事だな、と改めて。




5年という時間は何をもたらしただろうか。

長いようで早かった5年。
早いようで長かった5年。

一瞬にして奪われたものを取り戻すのにはまだまだ時間がかかる。取り戻し得ないものだってたくさんある。

その時の傷は深く一生消えないかもしれない。ましてや5年なんて期間で癒えるものではない。

復興はまだまだこれからだろう。

これから。