変化する言葉


古典を勉強していると、いつも思うことがある。



また数百年経ったら今の日本語も使われなくなって、現在読まれている小説などは古典文学として扱われるのかなぁ、と。




現代人は、古典分野のものとして取り扱われる文章を読もうとしても、単語や文法を知らなければ到底読めないが、当時の人(高貴な人だけ?)は普段から使っている言葉遣い故に何ら差し支えなく読めていた文章だったはずである。


当時の人たちは、今自分が使っている言葉が数百年後には“現代文"とは違う分野で扱われることなど知る由もないだろう。

それは現代人も同じであって、みんなが当たり前のように読み書きしている言葉が将来単語帳や文法書なしでは読めない文章となっているかもしれないことなど分かり得ないし確かめる術もない。
もしかしたら、10年後までに再び言文一致運動に変わる言語の形式を大きく変える運動が起こるかもしれない。

また、言文一致運動が起こった後の文章であっても、その中で出てくる言い回しは今は使われないものであったり、最近では言葉を省略したり外来語が入ってきたりと、常に変化している。


常に変化する理由はわからない。世界がグローバル化を求めているから外来語を取り入れるのか、言いたいことはより簡潔にしたいから言葉を省略するのか、聞き間違えによって言葉が転じていくのか...
私にはそれはわからない。だが、不定だからこそ言葉は面白い。常に身近にあるのに、最後まで追究することは難しいからこそ面白い。と、私は思う。


最近古典を勉強しながらそんなことを考えていたために、まだ入試を受けてすらいないのに大学では言葉そのものを研究したいと漠然と思うようになった。
意外と研究始めてみたら呆気なく答えが見つかったりして(笑)
もしかしたらすでに研究した人がいて答えが出ているかもしれない。
そうしたらこの記事すごい恥ずかしいな(笑)